坂口安吾が「堕落論」を発表したのは終戦の翌年だった。「若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる」。読んで共感した若き今村昌平さんは、自分も闇市に入り浸って戯曲を書いていた(自著『映画は狂気の旅である』日本経済新聞社)。
焼酎やたばこを売ってサヤを稼ぎ、進駐軍のガソリンの横流しを手伝う。「あらゆる人間が生の欲望をさらけ出し、何にも縛られずに生きている闇市は、私にとって自由の小天地であった」
人間を欲望を通して見つめた映画の題からは、その時々の人と時代がにおい立つ。果しなき欲望、にっぽん昆虫記、神々の深き欲望、復讐するは我にあり、ええじゃないか、楢山節考、黒い雨。
欲望は人を狂わせる。そこを正面から描かずに、人や世の中が描けるのか。画面の後ろからそんな声が聞こえてくるようだった。本能にかられた獣のような面と、純粋で神々しい面を併せ持つ人間という生き物への、そして命への深い思いが感じられた。
9・11同時多発テロ後に撮った短編では、権力者が呼びかける「聖戦」が、いかにうさんくさい代物かを訴えようとしたという。アイデアは井伏鱒二の杜甫の訳詩から得た。「ドコモカシコモイクサノサカリ……ズヰブン馴染(なじみ)ガウタレタサウナ」
映画専門学校を設立した今村さんは、後輩へのメッセージで自著を締めくくっている。「天才は必要ない。常識に縛られるな。粘っこく人間を追究し、無人の曠野を走る勇気を持て」。人生の幕は下りても、その言葉や作品は生き続けてゆくだろう。

日语应试






