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漢詩を読む

[日期:2006-12-29] 来源:  作者: [字体: ]

第一回 自然の歌の一回目です。お話は桜(おう)美(び)林(りん)大学教授石川忠久先生。朗読は白坂道子さんです。

  皆さん、ご機嫌いかがですか。これから一年間を通しまして、「漢詩を読む」という番組をいたします。これは漢詩を材料にいたしまして、いろいろお話をして行こうという気楽な番組ですので、そのつもりで、お聞いていただけると幸いです。

  さて、漢詩はね、わが国で最も親しまれているものと思いますが、もちろん、これは中国の詩が主です。中国のあらゆる文学の中で詩が一番優れていると言われます。長い伝統ありまして、『詩経』の昔から、ずっと練(ね)られてきましてね。唐の時代に完成いたしまして、完成いたしましたものが更にずっと流れていくわけですが、このような豊富な詩の歴史、また、量と質もこういった詩を持つというものは世界でも珍しいじゃないでしょうか。私の考えではね、漢詩は世界最高と思っています。この世界最高のものをわれわれ日本人は幸いにも先祖のおかげで直(じか)に接することはできる。先祖が漢文の訓読法ということを考えてくれましたおかげでね。これを見て、すぐにそれを読みまして、味わうことができます。もろん、そう漢詩の持つリズムとかね、あれは韻を踏んでいる点とか、こういった音声的な面は今の日本語に直しますと出てきません。その点はまあ、ちょっとそれを抜けてるわけなんですけどね。脱落してるわけ。ですから、この番組ではなるべく中国語の朗読って言いまして、私は下手ながら、この中国語を朗読いたしますので、皆様はその中国の朗読によりまして、日本人の欠脱してる部分、さあ、リズムとか韻とかって言ったことをお分かりいただければと思います。

  ともかく、この日本人は古くから世界最高の詩歌である漢詩に親しんでまいりました。これはも戦後、比較的漢文をやらなくなった今日でもね、依然として根強い興味と関心があるようですね。私日常生活でもちょっとこう口をついて出てくること、ずいぶんありますね。「春(しゅん)眠(みん) 暁を覚(おぼ)えず」とかね。或いは「国破れて 山河在り」とか、「黄河遠く上る白雲の間」とか、こういった有名な句は誰でも知っています。一年を通しまして、このように誰でも知っている詩、或いはちょっとどこか聞いたことがあるなあという詩、そして、まだ聞いたことないけど、面白い詩だなあ、こういった詩も混ぜましてね、大体一回に四つか五つ、一年を通しますと、二百ぐらいにもなります。こういうふうにずっと見て行こうと思います。一応二ヶ月に一遍柱を設けまして、六つの柱を用意しました。最初は「自然の歌」というタイトルで一ヶ月いたします。その次は「情愛の歌」ということで、男女の情愛、親子の情愛、兄弟の情愛、こういったような「情愛の歌」をいたします。その次の二ヶ月は「旅の歌」ということですね。中国では、国土は広いですから、旅は多い。詩人はおおむね官僚で、お上(おかみ)の命令であちに出るこっちに出ることも多いですし、或いは商売で出かけることがありましょう。ということで旅の詩がたくさんあります。この旅も見ましょう。ここまでのところがテキストに収めてあります。後半の部分はね、ちょっとご紹介しておきますと、最初の二ヶ月が「風雅の歌」、風流ですね。中国の文人の生活の中に、まあ、風流っていう大きな分野を占めますが、その風流の歌をいたします。次に、「戦争の歌」。「戦争の歌」って言いましても、殺伐な歌ばかりじゃなくて、艶(なま)めかしい歌ともありますし、或いは、風刺の効いた詩もあります。中国では長い間ずっと戦争が絶え間がなかった。西、或いは、西北の方から異民族が攻めるということが多かったですね。従いまして、戦争を歌う詩もたくさんあります。大きな分野です。最後の二ヶ月は「人生の歌」。人生はいろんな折節に、ああいう試験に落第したとか、出世をしたとか、左遷(させん)されたとか、或いは臨終(りんじゅう)の歌とか、まあいろいろな人生の折節(おりふし)の歌を見てまいりましょう。以上のように二ヶ月、二ヶ月で一つの柱を設けまして、一回に四つ五つということに一年間を通しまして、二百ぐらいの詩を見ながらお話をして行こうと思います。なお、テキストのお持ちの方は最初の所に絶句とか、律詩とか古詩とか、これから出てまいります詩の形式についての簡単なご説明をしてありますので、ご覧ください。何分にも、中国の詩の歴史は長い、また、中国の風土は広いということから、傍らに年表と地図とを置いて、鑑賞するとよいということですね。テキストには付いてありますから、後ご覧になるのは結構です。例えば、李白は杜甫はいったい日本の何時代の人なのかなということをいつもこう考える。李白や杜甫と、或いは蘇軾や王安石と、時代がどちらが先かということ知らないで詩を賞鑑するというのはやはり面白くない。また、長安の都というのはこれは大体緯度はどの辺なんだろうか。或いは南京はどの辺なのか。こういったのことを頭に入れながら鑑賞なさると結構ですね。なお、私も近頃は中国にずいぶん回りまして、直に向こうの風土を見てまいましたので、そういうようなお話も混ぜながら進めていきたいと思っています。

  それでは、まあ余計な(話し)が長くなりましたが、最初の詩、ちょうど今時分の『清明』という詩をいたします。なお、朗読はずっと白坂道子さんにお願いしようと思います。では白坂さんお願いします。

  清明の時節雨紛(ふんぷん)々、路上の行人魂(こん)を断たんと欲(ほっ)す。

  借(しゃ)問(もん)す酒家(しゅか)は何(いず)れの処にか有る、牧童遥かに指さす杏花(きょか)の村。

  清明といいますのは中国でいう二十四節気といいます。そのお節句の一つです。春分から数えまして、十五日目、これが清明。ちょうど今ごろですね。今年は三月二十一日が春分でしたから、四月の五日ごろが清明になります。で、この清明のごろにはよく雨が降る。ということで、清明の雨ということでたくさん歌いますね。日本では菜種梅雨って言っていますね。 

    清明の時節雨紛々、路上の行人魂(こん)を断たんと欲(ほっ)す。

    借問す酒家は何れの処にか有る、牧童遥かに指さす杏花の村。

  作者の杜牧は晩唐の人、大変毛(け)並(な)み(家柄がいい)のいい人なんですけれども、また、本人も優秀だったんですけどね。ちょっとエリートコース外れまして、屈折した人生を送ると。まあ、その屈折した人生の中からいろいろ味のある作品が生まれています。この作品はいつごろかというのははっきりいたしません。また、場所についても問題があります。その場所についての話をちょっと後回しにいたしまして、中身を見てまいりますと、清明の時節はよく雨が降る。今日も紛々と小糠小雨が降っている。「紛々」というのは細かいことがこう落ちることで、雪にも使います。春雨(はるさめ)ですね。  道行く旅人は清明の雨の中を道を行くと、魂が絶えなんばかりの悲しい思いになるという、魂を絶たんと欲すというばかに大げさなような表現ですけれども、これは極普通に使います。滅入るという言葉がありますね。滅入るというにぴったり。どうも気が滅入ってしようがないと。この路上の行人というのは本人と考えてよろしい。「借問す酒家は何れの処にか有る、牧童遥かに指さす杏花の村。」気が滅入ってきたから、ちょっと一杯やりたいなあとこう思うんですね。そして、向こうの方から牛を連れた子供がトコトコ、トコトコでやってきた。ちょっと尋ねるが、酒屋はどこかのうと言うと、この牛飼いの少年があっちとこう指さす。その指の方を見ると杏が白くぱっと咲いている村があり、その村に酒屋があった。で、この酒屋がなぜ分かるかといいますとね、この次の作品に関係いたしますが、酒屋の目印の幟が立っているんです。酒旗(しゅき)といいます。その酒旗がね、春雨に濡れそぼりながら杏の花咲く村のところに見えるんですね。ぶっきらぼうに牛飼いの子供があっちだよとこういう。そこには一つのいかにも気持ちのよい世界が開けているという図柄です。もろん、まあ、杜牧という人はお酒の好きな人ですからね、自然、眼がそちらのほうに行きがちなんでしょうけども、酒屋の居たいなと、今日はちょっと春寒(はるざむ)でね、雨が降って寒い、ちょっと飲んで温まろうかという状況と思います。さて、ここでね、面白いのはこの牛飼いの少年。牛飼いの少年が出てくるというのはどういう意味あるかと言うと、中国に詩の世界では樵(きこり)とか、山で木を切っている人、住みやすいかなんか人ですね、それから、川で魚を釣ってその魚を売っている漁師、こう言ったような人たちは中国にインテリの目から見るとね、自然の中でいかにも悠然と暮らしている人と見えるんですね。ですから、ここで牧童は出てくることによって、浮世の齷(あく)齪(せく)した生活に疲れた眼から見ると、いかにも安らぎの世界が見えてくるんですね。そういったこう牛飼いの牧童という言葉によって、醸(かも)し出されております。また、この杏の花ですけれども、杏にもいろいろありまして、ピンクも赤も白もある。やはりここではね、白がいいですね。ボート春雨に景風の中にぱっととこうを見えるいうことですから、白い杏の花がこう書いてと思います。まあ、日本でも杏の里と言うのが信州の辺りにございますけどね、いろいろな花があるようですけれども、私も前にこの作品を解釈した時に、ピンクかなあとこう言ったんですけども、投書がありま手ね、いや、白だろうというようなことで、その後私も白はやっぱりいいかなあというように思って解釈を書いております。この白い杏でいうふうに解釈していました。さて、これに付きましてね、先ほどのこの作品はいったいどこで作られたかというものになりますが、杏花村というのがあちこちあるらしい。その主なものが二つがありまして、一つは山西省、山西省の省都の太原という町がありますが、その太原という町から南へ八キロぐらいで行きますと、汾阳県という県になります。その汾阳県に杏花村という村がありまして、大きな酒作りの工場があります。もう一つは安徽省の貴池県という県がありまして、そこにはかつて杜牧は知事として来ていたことがはっきりしております。どっちだろうと。これは難しいですけどね。どちらに軍配を上げてもどちらからか文句が出るでしょうけど、私は実は太原の方の汾阳県の杏花村にまいりました。なるほどね、杏花村と大きく書いてあります。しかし、どうもね、杏の木もないね。全体の様子がちょっと違うはずなんですね。で、貴池県の方には実は私は行ったことがないんですけれども、大体これは江南ですから、景色の想像はつきます。また、杜牧の履歴に照らしてみましても、山西省の方に行ったことはっきりいたしません。が、貴池県の方は確かに彼は知事していましたから、今のところ杜牧の安徽省の方の杏花村がそれじゃないかなというふうに思ってましょう。皆様どうでしょうか。では今の詩をちょっと中国語で読みましょう。

    清明时节雨纷纷,路上行人欲断魂。

    借问酒家何处有,牧童遥指杏花村。

  それは中国語で読みますと、七言のリズムというのは分かりいただけるかと思います。本当は当時の音で朗読すれば一番いいんでしょうけれども、まあ、ちょっとそれは難しいので現在中国語でいたします。なお、韻のところには黒いポッチをつけてきますね。「紛」「魂」「村」と、今の我々の感情では「紛」「魂」「村」ということで、ちょっと合わせない所がいますが、現代中国語で「紛」「魂」「村」って必ずしもちょっと合わせない所もありまして、それはお互いにね、千何百年経っておりまして、中国は中国でやはり音も変わり、伝えられた日本でも千何百年の後(のち)にもう変わっておりますから、そういうわけで、少し違います。それでは『清明』の詩はこのぐらいにいたしまして、次に『江南の春』にまいりますが、この番組ではね、作品はこう連鎖的にこう並べてみたんですが、連鎖的でないこともありますよ。杜牧の作品が出て来て、次にまた杜牧の作品が出てきますが、話題が『清明』からこの『江南の春』というふうにこの連鎖的なふうに按排したつもりです。では、次の作品に進んでいきましょう。白坂さん、どうぞ。

    千里鶯(うぐいす)啼いて緑紅(くれない)に映ず  水村山郭酒旗(しゅき)の風

      南朝四百(しひゃく)八百(はっしん)寺(じ)  多少の楼台煙(えん)雨(う)の中(うち)

  これもたいへん有名な詩ですね。「千里鶯啼いて緑紅に映ず、水村山郭酒旗の風。南朝四百八十寺、多少の楼台煙雨の中。」作者は同じく杜牧でありますが、これも制作年代はっきりいたしません。ただまあ、「江南の春」と言ってますから、これは紛れもなく江南ですね。江南と言っても広いんですけれども、前半は農村、後半は古い都、まあおそらくこれは南京ですね、現在の南京。農村と古い都の二つのことを詠み込んでいるのが、この「江南の春」でございます。「千里鶯啼いて緑紅に映ず」、千里四方見渡す限り、鶯が鳴いている。まず最初に大きく歌いましたね。まあ、構成その非常化に言うにね、千里の向こうの鶯が聞こえるもんかと言うようなことを言う人がいましてね。これは「十里」の間違いだと、こういう批評があるんですけども、このところは、そういう細かいことを言うんじゃなくてね、鶯が遠くの方で聞こえるか聞こえないと言うことじゃなくて、もう目もあやなる広い春景色ということで捉えている。あちらでも鶯の声は聞こえる、こちらでも鶯の声が聞こえる。そうして、緑の、これは多分柳から赤い、これは多分桃、緑な柳と赤い桃とが照り映え合っているんだよと。もろん、まあ、柳ばかりじゃないですけれどもね。代表的なもので言えば、緑は柳、また、桃は赤い、赤い桃と、このように広い農村の風景の中でパーッと青い色と赤い色とが読者の目に飛び込んでまいります。

  「水村山郭酒旗(しゅき)の風」、次の句を見ますと、広い中から一つの部分にピント(焦点)が合わさります。この辺りの手法は映画の手法に似てるかもしれませんね。ずっとズームアップっていますからね。ピントがずっと合ってきまして、川が流れている村里、また、山の裾の村里、「山郭」の「郭」も村の意味ですよ。そのそこここに酒旗(しゅき)が翻っている。先ほどの詩でちょっと触れましたが、酒屋の幟(のぼり)ですが、これはね、竹(たけ)竿(ざお)のような竿の先に青い布(きれ)を下げたものらしい。酒旗とか、酒(しゅ)牌(はい)とか、酒簾とか申しますが、酒屋の幟です。その青い色の幟が春風にハタハタハタハタとはためいている。そういう情景。広い目もあやめる農村の、第二句でズームアップで少し近景になりまして、ピントが酒屋の目印の幟に合わさります。まあ、見事なものですね。

  「南朝四百(しひゃく)八百(はっしん)寺(じ) 多少の楼台煙(えん)雨(う)の中(うち)」。後半はがらりと変わりまして、古い南朝時代の都、南京、今は南京と言いますが、唐の時代は金陵と言った。また、六朝時代は都であった時代には建康と言ったです。人間が体が健康だという「健康」という字のあの人偏のない、「建康」と言うね。当時は「建康」、杜牧の時代には「金陵」、ただ今は南京。その古い都のたくさんの寺があります。四百八十というのは出任せ見たんでは必ずしもなくて、実際に五百ぐらいの寺があったらしい。ここではたくさんのお寺という意味で、「多少の楼台煙(えん)雨(う)の中(うち)」。そのたくさんの高殿がボーと春雨の中に煙(けぶ)って見えるという情景。こういいますとね、例えばわが国では奈良の猿沢の池辺りに佇みまして、興福寺の五重塔かなんかを望むような情景をちょっと考えていただくといいと思いますね。で、この南朝時代というのは唐の時代の前の時代でありますが、大変仏教が栄えました。その中で「梁」という王朝の武帝という皇帝の時代には、この武帝自身が仏教に篤く帰(き)依(え)いたしまして、入道いたしましたね。入道皇帝という。八十いくつまで生きた皇帝でありますが、その在世中にたくさんのお寺を建てました。そのお寺が唐の時代に入ってもずっと残っているわけですね。ただし、杜牧の時代の近い時代に廃仏毀釈がありまして、廃仏毀釈っていいますとわが国では明治維新のごろにいたしましたけれども、中国ではしばしばある。杜牧の時代にちょっと前ですね。武宗という皇帝の時に杜牧の時代ですけれども、この作品よりちょっと前だと思います。廃仏毀釈がありまして、お寺が壊されているらしい。そうしますと、こう寂れた感じなんですね。寂れた今は寂れた昔の都跡(みやこあと)に、お寺のいろんな高殿が建っておりまして、そこに春雨がしっとりと煙っている。

  これにつきまして、前半が農村の、もちろん天気晴れ、晴れの景色、後半が古い都の雨ということでちょっとこれどうなっているというふうに考えていう人もあると思います。また、この「江南の春」という題が別のテキストでは「江南の春の道中」と、「江南春の道中」というふうになっているのもある。そうしますとね、旅をしていて、農村を行く時分には晴れていたが、都へ着いたら雨だったとこういうような解釈もあるんですけれどもね。私はね、そう解釈する必要は必ずしもないと思いますよ。先も言いましたどおり、これはね、江南の春という二つの柱、誰でも思いに浮かべるものは二つある。一つは明るい広い目もあやなる農村の春景色だ。もう一つは古い都のしっとりとたたずまい。この二つのものを同時に詠み込んでみようという。これは見事に溶きあってると思いますね。渾然として溶きあってる。

  千里鶯(うぐいす)啼いて緑紅(くれない)に映ず  水村山郭酒旗(しゅき)の風

  南朝四百(しひゃく)八百(はっしん)寺(じ)  多少の楼台煙(えん)雨(う)の中(うち)

  ちょっと細かいこと申しますと、「多少」というのはね、多いという意味に使う時もあり、少ないという意味に使う時もあり、また、疑問に使うこともあります。有名な孟浩然の『春暁』という詩ではね、「花落つること知る多少」と言いまして、この多少はあの詩の場合には「どれほど」という疑問してきた。今日我々「多少」という時は「少ない」意味に偏っていますね。多少私持ち合わせがございますとこれ遠慮したい言い方になる。この詩の場合には「多い」ほうに偏っています。たくさん。まあ、一つの言葉がいろいろに解釈される例ですね。更に今度は第二句をご覧ください。第二句ではね、「水村」と言うのと「山郭」というのと「酒旗」というのと「風」これも春風、四つのものをポンポンポンと並べただけです。こういう手法が杜牧よりちょっと前からあるんですね。言うなれば印象に訴える手法とでも言いましょうか。物を並べるだけで読者にある印象を与えようと。それがどうしたという説明を一切抜きです。例えば、第一句のようにね、緑が紅に映いてるということは言わない。「水村」「山郭」「酒旗」「風」と四つの物を読者の前に展開いたしまして、で、読者にそのイメージを任せているわけですね。読者の方ではこの句を口遊(ずさ)びますと江南の、まあ、特色の一つですけども、水郷地帯、あちらにもこちらにも小川が流れている。小高い山がある。山といってもこれは丘ですけど、小高い丘がある。そして、酒屋の目印の幟がひらひらひらひらしてると非常に鮮やかな印象が受け付けられますね。で、まあ、やはり酒旗に目がいくところが酒好きの杜牧らしいと言えましょう。先の詩もそうでしたね。はい、酒ということはすぐに目がいく。いうのがこの詩の面白みですね。もう一つね、第三句をご覧ください。これは解説の所にも書いておいてきましたけれども、「よんひゃくはちじゅう」と言わない。「はっしんじ」と言う。「十」と言うのはなぜ「しん」って言えるか。詩にはね、この平(ひょう)仄(そく)と言いまして、音声上の制約がある。中国語はすべての言葉が調子が付いています、声調と言います。その平らな調子のものと平でない調子のものと詩の場合に適当に混ぜる。すると自然に調子が作るね。で、平らなものを平(ひょう)、平らでないものを仄(そく)って言いまして、平と仄とは按配される。七言の場合にはこれは七言絶句でしょう。七言の場合には二字目と四字目と六字目を問題にいたします。二字目が平らだと四字目は平らでない仄、で、六字目は平らになるというのが約束になってる。で、この詩の場合にもし「よんひゃくはちじゅう」と読みますと、上から見て、南朝というのは平ら、平ら、で、四百八十は皆仄(そく)仄(そく)仄(そく)仄(そく)仄(そく)になっちゃう。ところで、発音してみてちょっとギクシャクしてしまうので、「十」という字は拡大解釈いたしますと、「しん」という音がある。平らな音の「しん」で発音してやると二字目と四字目と六字目の法則とぴったり合うということですね。で、そういうようなことをしたものが既に先輩の白居易の詩にもあります。「緑浪東西南北の路 紅欄三百九十橋」とここでも九十橋って言うと、平仄は触ってしまいますので、「きゅうしんきょう」と言っています。こういう先輩の例がありますので、「南朝四百はっしん寺」というふうに読んでおります。まあ、読み慣わしですね、はちじゅうって言うんでも日本字でしか使いないけれども。まあ、中国語の音声上の何かで言うのですね。ちょっと都合が悪い。

  千里鶯啼緑映紅、水村山郭酒旗風。

  南朝四百八十寺、多少楼台煙雨中。

  なお、四百八十と、ですね。なお、中国の朗読でね、ちょっとお断りしてきますけれども、百という字ですね、これはあのう古いものを読む時には「ボオ」と呼ぶのもあるんけどね。「ボオ」と読むのもよろしいが、現代中国語で「バイ」ですから。「スーバイ」で読んでいきましょう。南朝四百八十寺。以上のように、江南という言葉によってイメージされる二つの柱を巧みに詠み込んだ作品ということです。では、先へ進めましょう。白坂さん、おねがいします。

  烏衣巷  劉禹錫

  朱雀橋辺野草の花、烏衣巷口夕陽斜めなり。

  旧時王謝堂前の燕、飛んで尋常百姓の家に入る。

  今度は中唐の劉禹錫の作品ですが、連鎖式ということで言いましたね、ただ今の杜牧の作品で、今の南京が舞台になっておりましたので、今度が南京を舞台した作品を見ます。この烏衣巷というのは南京の町の名前です、路地ですね、路地の名前になっています。

  朱雀橋辺野草の花、烏衣巷口夕陽斜めなり。

  旧時王謝堂前の燕、飛んで尋常百姓の家に入る。

  「朱雀橋辺野草の花、烏衣巷口夕陽斜めなり。」と、さて、前半の二句を見ますと、これ対句なんですね。句と句が並んでおります、向かい合っております。朱雀橋という、これはあの橋の名前、固有名詞、烏衣巷という、これは町の名前、これも固有名詞、、三字の固有名詞同士並んで、そして朱はもちろん赤、烏衣巷の烏はカラスですから、これ色、黒。赤と黒との色の対照にもなっているという構造、その朱雀橋のほとりというと、烏衣巷の入り口というので場所を示している、「野草の花」というのと「夕陽斜め」、この花というのは名詞ですけれども、ここでは花が咲いているという念で使いますね。野草が花咲くという意味ですけれども、ある状態を述べている、野の草は咲いているという状態を述べている、夕陽斜めの方も夕日が斜めになっているという状態を述べているということで、きれいな対句になっています。この朱雀橋といいますのは、昔の都の南の方にある橋なんですね。名前も、非常に美しい名前です、朱雀、この雀はすずめじゃなくて、孔雀なんですが、想像上の鳥に鳳というのがある。その鳳のようなものをイメージしております。なお、まあ、ちょっとここでは詳しくと、省略いたしますけれども、赤という色、それから鳳という動物は、どちらのほう、南の意味なんですね。南、方角では南、都の南であることは、朱雀橋という名前では分かっちゃう,かつては、この辺りはね、王公貴族の屋敷が軒を連ねているなんですね、それが今は野の草の花が咲いている、名も知らぬ野草、ぺんぺん草のような花が咲いているという、この辺りも既に栄光盛衰の趣が漂ってまいります。烏衣巷といえば、「烏衣の遊」といいまして、六朝時代には、王氏とか謝氏とかと言うような第三句、ここから王謝、その王氏とか謝氏とかと言うような大貴族がこの辺り大邸宅構えてきたと言うことですから、その「烏衣の遊」と言うのは、そのお屋敷の中の若様たちが遊んでたのを称していた人は「烏衣の遊」といったんですね。今はもう路地裏になっているんですね。そこに夕日が寂しく当たっている、と言うことで、前半の二句は対句仕立てで、まあ栄光盛衰の無常観というのはそそられております。実は私はねここへ行きましてね。17ページのほうにあります写真がここ撮ってきたんですよ。烏衣巷というところがあったんですね、今もこういうふうにこれプレートに書いてあります、ごくごく細い路地でね、昔の大邸宅なんかもちろん一つもありません、さまがありです。唐の時代にも既にも六朝時代の栄華は夢になっていたんですね。劉禹錫という人は八世紀から、九世紀にかけて人でありまして、もう既に栄華の時代からずいぶん経ってありますよ。「旧時王謝堂前の燕、飛んで尋常百姓の家に入る。」昔、王氏とか、謝氏とかというような貴族たちのお屋敷の前に巣くっていた燕が今はそのお屋敷がないので、普通の、当たり前の人々の家の中へと飛び入っていくようと、百姓「ひゃくせい」と読みまして人民の意味、庶民の意味ですね。尋常と言うのは当たり前、当たり前の何でもない庶民の家へと燕が入っている、ああ、昔はこの燕が大きな屋敷に巣を作ったものあったのにという考えで、以って結んでいる、これも、大変洒落た詩でしたね、栄光盛衰と言うものを見事に絵に描いて見せたといいでしょうね、言うならば、燕の飛ぶ姿の中に栄光の悲しみを見たとでも言いましょうか、普通の人なら見逃すような情景の中にさすがに詩人の目が鋭い、スーイ、スーイと燕が飛ぶと、ああ、そうだ、この燕が昔はこの辺りの軒を連ねていた王公貴族の家で巣くっていたんだなあという感慨を発しているのですね。朱雀橋なんといういかにも雅やかな橋のあたりにはなんとぺんぺん草が咲いているようと、「烏衣の遊」「烏衣の遊」と言っても持てはやされた、その辺りは今は裏の路地になっていて、路地裏になっていて、夕日が差し込んでいてるようと、こういうことですね、過去は華やげがあっただけに、現在の寂れた様子というものが詩人の胸を打ちます。なお、この作品は作者五十三歳時の作品と分かっておりまして、「金陵五題」と言いまして、この金陵の町に題材をとった五つの連作の一つでごさいます、実は劉禹錫はここへ行って作ったんじゃ、実はないんですね、詩人は必ずしもそこへ行かなけりゃ、詩を作れないわけではなくて、イメージでどんどん作る、この詩なんか私も実はここへ行きましたね、なるほど、もっともだということです、例えば、南京の町の南の方には中華門と言う門がございます。中華門の上から立って、ずっと南の方を見ますと、秦淮河と言う川が流れていますね。昔の秦淮河がある。今はちょっと違うようですけど、ああ、この辺かなあと見て回りました、で、年月は移っても辺りの様子変わらないでしょうからね、では、ちょっと中国語で読んでみましょう。

  朱雀桥边野草花, 乌衣巷口夕阳斜。

  旧时王谢堂前燕, 飞入寻常百姓家。

  なお、この野草の「野」という字はね、何気ないようになっていますけどよく響いていますね、昔はここは宿小屋の騒ぎじゃない、雅中の「雅」だったんです、その雅のところが今は「野」の、いかにもその田舎くさい草は生えているところで、実によく響いていると思いますね。それでは、最後の詩を見ましょう。朗読をお願いします。

  相思   王維

  紅豆南国に生ず、春来たって幾枝を発く

  願わくは君多く采撷せよ、此物最も相思わしむ

  今度はね、春の花ということから連鎖いたしまして、『相思』という詩をいたします。今度まいりますのは、紅豆という、かわいい花です。「紅豆南国に生ず、春来たって幾枝を発く。願わくは君多く采撷せよ、此物最も相思わしむ。」ええ、相思というのは、恋っていいますね、「相思う」というのは恋の心、この歌は恋の歌であります。「紅豆南国に生ず、春来たって幾枝を発く」。赤い豆という名前のかわいいらしい花が南の国に生えている、それは春になると、幾枝発くのである、この南の国の特産である紅豆という花が出て参りましたが、これはね、まあ、物のその本によりますと、詮索しますと、花は春咲くけれども、実は秋になるということらしいんですね、でも、「秋来たって幾枝を発らく」というようなテキストもあるんです、春でなくてね、「秋来たって幾枝を発らく」と、まあ、こう解釈も変ってきます。実はね、こういうものを解釈する時にはね、必ずしも植物学の詮索は必要がないですね、あんまりそういうことにかかずらうと、詩の趣を失ってしまうこともありますから、ここではね、この紅豆という植物が、今の植物では何やらかということあまりも、深追いをいたしませんね。イメージの世界の作品と見てもよろしい、で、紅豆といいますと、いかにもかわいいらしい豆のような赤い花、ね、これはもう恋の花にもっともふさわしいかわいいらしいかな、これはまあ、秋じゃ具合が悪いね。春になると、幾枝だもそれが発くんだようと、「願わくは君多く採撷せよ、此物最も相思わしむ」。どうかあなたたくさんこの花を摘んでちょうだいね、この物は最も物思いの花だから、物を思う花だから、恋の花だから、言い換えれば恋の花ですね、こういう甘い歌なんであります。「君よ、知るや。南の国」なんという歌もありますけれども、そんな調子の歌と思えばいいですね。なお、王維でございますけれどね、王維はまあ、言うまでもない、李白、杜甫と並んで三大詩人と言われてるくらいの詩人でありますが、まあ、どちらかというと、王維のイメージはこの中年過ぎの寂び寂びと親しいのイメージは強いですね、彼は中年過ぎなりますと、都の郊外に相当大きな別荘構いましたね、宮仕えの暇暇にそこへ行っては、悠々自適の生活を楽しんだ、閑適の生活を楽しんだですね、そういう生活の中から歌った歌たくさんありまして、むしろ、そちらのイメージの方が強い、ところが、こういう艶めかしい作品もあるということなんですね。この次の回には王維の「雑詩」というのはいたしますが、これも相当艶めかしい、王維の持ち合いの一つにはこの艶めかしい詩もあるんです。王維の伝記を読みますと、彼は山西省の出身でありまして、年15歳ぐらいで都へ出て参りましてね、今というところ受験勉強、当時はまあ、試験制度がありましたね。試験に受からないと官僚にならない、この試験の準備のために出てくるというのは一つはね。自分の才能を当時の有力者たちにこう折り込ということがあったんですね。王維も15歳ぐらい出てまいりまして、伝手(つて)を辿りまして、王公貴族の家にも出入りすることがあったらしい。なお、王維の家はね、先祖を尋ねれば、由緒正しいですけれども、近い先祖はあまり尊しておりません。いわゆる、地方官ですね、その程度の家柄ですから、都へ出て参りまして、いろいろ苦労もあったでしょう、その苦労の心境を歌った歌も、まあ、これが先にいたしますね。いたします予定です。そういう十代を過ごしまして、この人は大変才能が豊かでね、詩も上手、また歌も上手だった、音楽の才能もあったと言いね。音楽も上手と、また姿が優しいということのようでありまして、たちまち当時の都の王公貴族のペットになったらしい、今日はあちらの王様の、今日はこちらの貴族というふうな宴席に出ましてね、「一つ歌でも作ってみろ」というようなことで作った歌じゃないかと思います。恋の歌、これをその場にいました、歌手はね、早速歌うと、その、歌った歌手の、これは後の詩人で参ります。李亀年という、李亀年という名前の宮廷の音楽師がこの王維の歌の、この『相思の歌』と大変得意いたしまして、持ち歌にしたらしくてね。後になって、これはずっと年月を経ましたね、もう一つ読んで参りますので、ちょっとご記憶お願いします。「紅豆南国に生ず、春来たって幾枝を発く。願わくは君多く采撷せよ、此物最も相思わしむ。」

             相思

  红豆生南国,春来发几枝。

  愿君多采撷,此物最相思。

  ええ、以上、今日は春という季節に因みまして、最初の幕開けは「清明」というとか、だんだん連鎖的に進みまして最後は恋の歌で済みました。この続きは王維の作品ということで連鎖してまいります。では、 今日はこのぐらいでいたしましょう、皆さんご機嫌よう、さようなら。「漢詩を読む」第一回を終わります。



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