「もはや戦後ではない」と経済白書が書いたのは、1956年だった。その年に、水俣病が公式に確認された。以来半世紀、首相は小泉氏まで22人いるが、現地には一人も足を運んでいない。公式確認の日から50年になる昨日も、水俣に首相の姿はなかった。
患者団体の「水俣病互助会」の人たちはこの日、公式確認につながる患者たちが診察を受けたチッソ付属病院跡などを見て回った。「半世紀たっても未認定患者問題を解決させきれないことを、国は恥ずかしいと思ってほしい。悲しい記念日です」。49歳の胎児性患者の娘を持つ、81歳の女性の認定患者が述べたという。
熊本県の水俣市などが主催する慰霊式は「水俣病慰霊の碑」の前で、小池環境相らが出席して営まれた。「不知火の海に在るすべての御霊よ 二度とこの悲劇は繰り返しません 安らかにお眠りください」。碑文は広島の原爆慰霊碑の言葉を連想させる。
広島の碑の方は「過ちは繰返しませぬから」だった。原爆の惨害も有機水銀の垂れ流しによる水俣病も、共に繰り返しは許されない。その繰り返してはならないものを、水俣の碑は「悲劇」と表した。
「悲劇」という言葉は、この「50年の日」を前にした小泉首相の談話にもあった。「このような悲劇を二度と繰り返さないために……」。対応を怠った為政者の側が発する言葉としては、違和感がある。
首相の「悲劇」には、過去のものというような気配が漂う。「劇」ならば、始まりがあり、終わりがある。しかし水俣の惨禍は、終わってはいない。

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